「働きすぎは変わらない」という通説

「日本人は働きすぎで、労働時間はいまも高止まりしている」。検索窓にこの言葉を打ち込む人の多くは、そんなイメージを頭に置いているのではないでしょうか。先に答えを言います。ひとりあたり月間の総実労働時間は、最新の 2025 年で 135.1 時間です(厚生労働省「毎月勤労統計調査」、調査産業計・就業形態計・月間)。計測が始まった 1990 年は 172.0 時間でした。差は月あたり -36.9 時間。比率にすると、ざっくり二割の減少です。三十五年かけて、平均はゆっくり、でも確実に短くなってきました。「高止まりの水平線」というイメージは、少なくとも平均値を見るかぎり成り立ちません。

一次データで測る 下りつづける線

FIG.1総実労働時間(調査産業計・事業所規模5人以上・月間)単位: 時間
出典: 厚生労働省「毎月勤労統計調査」(1990–2025)

線の形を順に見ます。系列の起点である 1990 年が、そのままピークです。172.0 時間から線は下りはじめ、序盤は傾きが急です。中盤にかけて減少のペースはゆるみ、世界的な金融危機が起きた年には 144.4 時間へと、さらに水準を切り下げました。終盤、感染症の拡大で経済活動が止まった 2020 年に、系列の底となる 135.1 時間まで下がります。そのあとは 136.1 時間、136.9 時間と少しだけ戻したものの、最新の 2025 年には 135.1 時間と、ふたたび底と同じ水準に並びました。上下の揺れはあっても、向きはずっと下向きです。増えた場面もありますが、「戻り」と呼べる程度の小さなものにとどまります。

最も急な下りは、底の年にはない

ここで、通説が見落としがちなポイントをひとつだけ取り出します。底が感染症の年にあるなら、いちばん大きく下げたのもその前後だろう——そう考えたくなりませんか。ところが、一年あたりの下げ幅が最大だったのは、終盤ではありません。ピークの 1990 年からほどない序盤、月間 165.2 時間から翌年の 160.0 時間へ落ちた場面です。下げ幅は五時間あまり。三十五年の計測でいちばん急な段差は、感染症でも金融危機でもなく、法定労働時間が段階的に短縮され、休日を増やす働き方が制度として広がっていった時代に刻まれていました。バブル経済の崩壊による景気後退が重なった時期でもあります。制度の変更と景気の転換が同じ場面で重なったことが、この段差の背景にあるとされています。危機は線を沈めます。でも、いちばん深い段差が現れたのは、社会が自分の意思で短縮へ舵を切ったときでした。労働時間は災厄によってだけ減るのではない——この系列から私たちが持ち帰りたいのは、その点です。

この数字の読み方の注意

この系列は 厚生労働省「毎月勤労統計調査」の確報にもとづく、調査産業計・就業形態計の月間総実労働時間です。就業形態計にはパートタイム労働者が含まれます。そのため、短い時間で働く人の割合が高まると、働き手ひとりひとりの時間が変わらなくても、平均は下がります。長期の減少には、フルタイムの時短だけでなく、働く人の構成の変化も織り込まれています。また、調査対象の事業所には規模の下限があり、ごく小さな事業所は含まれません。自分の働き方と見比べるときは、この平均が短時間勤務も含んだ値だということを頭に置いておいてください。