通説――上昇は「苦しさの証拠」か
エンゲル係数が上がっている。暮らしが苦しくなっている証拠だ――。この数字を調べに来た方の多くは、そんな話をどこかで聞いたことがあると思います。まず答えから。総務省統計局「家計調査」によれば、二人以上の世帯のエンゲル係数の最新値は2025年の28.6です。これは系列の最高値でもあり、記録の更新はいまも続いています。つまり通説の前半、「上がっている」は事実です。問題は後半。この上昇を、貧しさの証拠としてだけ読んでいいのでしょうか。推移を測りなおすと、話はもう少し込み入っています。
一次データで測る――下がり、動かず、二段で上がる
系列の始点は2000年で、値は23.3でした。最新値との差はおよそ五ポイント。四半世紀かけての上昇です。
ただ、推移は一様ではありません。実は、最低値は始点ではないんです。谷は2005年の22.9。系列の序盤、この指標はむしろわずかに下がっていました。エンゲルの法則――所得が高い世帯ほど食費の割合は低い、という十九世紀以来の経験則――に沿って言えば、この時期の家計はまだ、食費の相対的な軽さを保っていたことになります。
谷を過ぎたあとも、値は長いあいだ始点とほとんど変わらない水準にとどまりました。たとえば23.3や23.6といった値は、始点の23.3とほとんど見分けがつきません。流れが変わるのは系列の中盤です。24.0、25.0、25.8と続けて水準が切り上がり、そのあとは25.7前後の踊り場に入ります。そして二〇二〇年に大きく跳ね、26.6までいったん戻したあと、再び上がって現在の最高値に至ります。ざっくり整理すると、この四半世紀は「緩い低下」「長い横ばい」「二段構えの上昇」という三つの局面でできています。上がったのは事実ですが、ずっと上がり続けてきたわけではありません。
なお、自分の家計の位置を知りたいときは、計算は難しくありません。ひと月の食料費を、消費支出(税や社会保険料を除いた、暮らしのための支出)で割るだけです。その値を28.6という全国平均と並べれば、自分がこの系列のどのあたりにいるかが見えてきます。
意外な一点――最大の跳躍は物価高の前に起きた
近ごろこの指標が話題になるとき、隣に置かれるのはたいてい食料品の値上げのニュースです。ただ、ここで注目したいのは一点だけ。系列のなかで、前年からの変動がいちばん大きかったのはいつか。答えは、物価高が本格化する前、二〇一九年から二〇二〇年にかけてです。25.7だった値は、一年で27.5へ動きました。四半世紀の記録のなかで、この一年を超える振れ幅はありません。
二〇二〇年が何の年だったかは、あらためて説明するまでもないでしょう。感染症の流行で外出が制限され、外食が減り、支出が家庭の食卓へ移った年です。所得の急減や価格の急騰ではなく、暮らし方の変化が食料費の割合を押し上げたことが背景にあるとされています。実際、行動制限が緩むにつれて、値は27.2、26.6と、いったん下がっています。
ここに、この指標の性格がよく表れています。エンゲル係数は分数です。そして分数は、分子の事情と分母の事情を区別してくれません。食料以外を削らざるを得なかったのか、それとも食への支出を自分から寄せたのか。割合だけでは見分けられないわけです。直近の再上昇の局面については食料価格の上昇との関連が指摘されていて、そこには確かに家計の重さが映っているのでしょう。ただ、系列でいちばん大きな跳躍は、貧しさよりも先に、食べ方の変化とともに来ました。この数字を「生活水準の逆数」とだけ読む通説は、その一点を見落としています。エンゲルの法則が測ろうとしたのは、所得と食の関係でした。けれども、この四半世紀の日本のデータが差し出しているのは逆向きの問いです。食費の割合が上がったとき、家計は何を削り、何を選んだのか。
この数字の読み方の注意
ここで示したエンゲル係数は、総務省統計局「家計調査」の消費支出に占める食料費の割合です。世帯区分は「二人以上の世帯」で、単身世帯の家計は含まれていません。また、この区分で値が得られるのは2000年以降に限られます。そのため、それより前の時代の水準とこの系列を直接つないで比較することはできません。「昔はもっと高かった」「昔の水準に戻った」といった話をこの系列だけで裏づけることはできず、測れるのはあくまで四半世紀ぶんの推移です。